インサイダーインサイダー

「男は二流市民か」と男性達は怒り心頭 日本では至る所が“女性専用”だらけに…英国メディア報道
猪口少子化大臣「日韓が連携して、少子化対策を」・・・韓国の会談で一致
こういう低脳が己の不満だけで社会を改悪していくんだからたまったもんじゃない。
義務を果たせる力をもってこそ、権利を主張できるというのを知らないのかな。
義務も果たさず権利だけ主張するのは寄生虫と同じだよ。癌でしかないよ。


犬でも分かるUN安保理
韓国的妄想自慰。いろいろな意味で涙が出てくる。哀れとすら思わないけど。
こう断言してるしなぁ。

日記

また靖国参拝をめぐってきな臭いことが起きている。
かなり捏造くさいけどね。
それのまとめコピペ。

◆富田氏メモに関するまとめ

【関連年表】
1975年 8月 三木首相「私人として」参拝(以後「私人か公人か?」が論点になる。)
1975年 11月 昭和天皇靖国参拝(6年ぶり。不定期で計8回。結果としてこれが最後)
1975年 11月 社会党天皇陛下の参拝の「公私」について難癖(天皇陛下の参拝が途切れる)
1978年 いわゆるA級戦犯合祀
1985年 中国の靖国非難開始(←中国の非難はここから。合祀から7年も後)
1986年 中曽根参拝中止(首相の参拝が途切れる)
1987年 9月22日 歴代天皇で初めての開腹手術。
1988年 4月28日 「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され〜私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」
      という天皇の発言メモが当時の宮内庁長官、富田氏の『手帳に張り付けられる』(←今回の)
1988年 9月19日 天皇が大量の吐血、以後重体が続く。
1989年 1月7日 昭和天皇崩御

【疑問点】
1.「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
2.「だから私はあれ以来参拝していない。」
  天皇陛下は75年(三木首相私人参拝)から参拝していないのに、
  「私はあれ(3年も後の78年のA級戦犯合祀)以来参拝していない」では辻褄が合わない。
3.あったとされる「発言」が合祀から十年後の昭和63年(1988年)の四月。崩御の前年。
4.天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。
  それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5.何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
6.一部記事中の白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
7.論理構成、概念が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプのような文章。
  「平和に強い考え」?何それ?中国共産党の影響力の強い旧社会党社民党がいかにも使いそうな言葉。
8.「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」
  「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
  78年ならまだしも、合祀から10年経った88年に語ったとするとあまりに不自然な発言。
9.当時の侍従長A級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
  http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
10.勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている
11.日記のページは黄色く変色しているにもかかわらず、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
12.ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたせず、綺麗なままである点。


国賊が陛下の名をかたるんじゃない。